28 April 2011

Shikoku - Tokushima

大歩危 (徳島県)

石鎚・剣両山脈の間を縫って東に流れてきた吉野川は、徳島県にはいるところから急に北に向きをかえている。そこにできた大渓谷が大歩危・小歩危である。両方の岸には1,000メートルもの山地がつづき、皮は深いところで30メートルもある。国鉄川口駅から高知方面へ5キロさかのぼると小歩危、さらにすすむと大歩危である。5月はツツジとみどり、秋は紅葉が美しく、ミニの民俗資料館もある。遊覧船はひっきりなしに出航、ゆるやかな渓流を下りながら奇岩、変岩が楽しませてくれる。歩危猿(ぼけざる)の異名のある野猿がときどき現れる。
Oboke, Tokushima Pref.
祖谷のかずら橋 (徳島県)

"祖谷のかずら橋や くものゆ(巣)のごとく 風も吹かんのにゆらゆらと" -祖谷地方の粉ひき節にうたわれているかずら橋は、祖谷川にかけられた幅1.8メートル、長さ44メートルの橋である。川底から12メートルのかずら橋は、この附近に自生するシロクチカズラで、橋は3年に1度、かけかえられる。むかしの記録によると、橋は7ヶ所もあったいわれるが、いまでは1ヶ所しか残っていない。重要民俗資料に指定され、平家の落人部落とともに観光面で重要な役割をはたしている。阿佐家には平家の赤旗や系図が残っている。
Vine Bridge at Iya, Tokushima Pref.
鳴門海峡・上空からの大鳴門橋

本四架橋・明石-鳴門ルートの大鳴門橋(1,629メートル)は、9年の歳月と1,000億円の巨費を投じて完成した。海面から橋桁まで41メートル、中央支間876メートル。
An aerial view of Naruto Straits and Onaruto Bridge.
人形浄瑠璃(じょうるり) (徳島県/淡路島)

初代の徳島藩主蜂須賀家政は吉野川流域にアイの栽培を奨励、それが成功すると、農民たちの慰安のために人形浄瑠璃を奨励した。天保年間(1830-44)が最盛で、県内に人形座が62座も数えられ、京や大坂方面へも興行に出かけたといわれる。なかでも、近松半二作の「傾城阿波鳴門」は人気を呼んだ。幼いころ、国に残してきた娘おつるが巡礼姿で訪ねてくるが、母のお弓は名のらずして帰してしまう。その別れの場は涙をさそう。十郎兵ヱ屋敷で公演している。
"Joruri" of dolls, Awajishima Island, Tokushima Pref.
阿波おどり (徳島)

"踊る阿呆に見る阿呆" - 毎年、8月12日から15日の4日間、県内の踊り連が徳島市にあつまり、踊り狂う。全国からも見物客が押し寄せ、踊り人口は100万人にふくれあがる。阿波おどりの歴史は古く、天正13年(1585)、秀吉から阿波一国を与えられた蜂須賀家政は徳島城を築いた。城の落成祝いの日、無礼講を許された領民たちは、手ぶりおもしろく城内になだれこみ、以来、400年の今日まで阿波おどりが受けつがれている。三味線、笛、太鼓、鉦のはやしにあわせて、男は藍染めの浴衣、女は鳥追い姿のいでたちで、30人から100人の踊り連がしないのあちこちで踊り狂う。
Awa Dance, Tokushima.
海亀 (徳島県)

牟岐線日和佐駅下車、徒歩20分のところに大浜海岸がある。ここは古くから海亀の産卵地として知られ、甲羅の長さ1メートル、体重100キロのアカウミガメが広い砂浜に産卵する。毎年、5月中旬から8月にかけて、日没から夜明けの間に上陸、ピンポン球くらいな卵を80個から150個産み落す。自分で砂浜を掘り、産み落すと砂をかぶせる。卵は60日くらいで自然にふ化して、母のいる海へ帰る。大浜で毎年約130頭、蒲田岬へも約130頭位上陸する。日和佐と香川県三豊郡詫間町(浦島太郎)は姉妹町になっている。
Sea Turtle, Tokushima Pref.

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